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2020年3月11日 (水)

名探偵コナンが父の事を書いている

名探偵コナンの 青山剛昌さんが父の事を書いているのを見つけました。

8年も前の日本経済新聞の記事ですが、とてもうれしく、ありがたいです。



日本経済新聞
2012年8月24日 15:30 [有料会員限定記事]
〈学びのふるさと〉


「やりたいことをやったらいい」美術の先生、部活を辞めたときに

「僕のことを初めて認めてくれた大恩人は、中学で美術の担当だった吉田たすく先生。
当時の仮面ライダーに出てくる「死神博士」にそっくりで、僕も周りの友達と一緒になってそう呼んでいましたが、今でも大好きな先生です。

厳しくて生徒には恐れられていましたが、なぜか僕にはとても目をかけてくれました。僕だけは叱られることもなかった気がします。
「アオチは絵がうまいからな」。先生はそう言ってよく褒めてくれました。「アオチ」は当時の僕のあだ名でしたが、先生からあだ名で呼ばれる生徒も僕くらい。授業の課題でほかの生徒がみんな水彩の静物画を描いているなか、「アオチはこっちをやれ」と1人だけ鉛筆のデッサン画をさせてくれたこともありました。
 それまで家でも学校でもほとんど褒められた経験がなかったので、新鮮な気持ちでした。

中学2年か3年の夏に剣道部を辞めた時も、味方になってくれたのは吉田先生。ある時、部のみんなで海岸をランニングしていたら、あまりに日本海が美しくて「絵に描きたいなあ」と思い、独り立ち止まって眺めていたのがきっかけでした。そのまま辞めてしまったのですが、先生は「やりたいことがあったらそれをやったらいいよ」と声をかけてくれました。

暇だろうからと、先生に勧められて作った切り紙の作品はコンクールに出品されて特選に。おかげで「自分は人よりもうまい」と思えるようになり、何となく美術関係の道に進むような気持ちが固まっていきました。当時は先生のような美術教師になろうと思っていました。

漫画家を志したのは大学時代。卒業後、比較的早くデビューすることができましたが、出版社に持ち込んだ原稿が酷評されることもよくありました。それでも何とかなると思えたのは、先生に与えられた自信があったからだと思います。
「YAIBA」を連載していたころ、実家近くの路線バスの中で吉田先生に偶然、再会したことがあります。漫画家になったことを報告したところ、先生は既にご存じで「アオチならそのくらいはやると思っていたよ」。これには驚き、本当にうれしく思いました。

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全文は下記でどうぞお読み下さい。

日本経済新聞
2012年8月24日 15:30 [有料会員限定記事]
〈学びのふるさと〉

「やりたいことをやったらいい」美術の先生、部活を辞めたときに
2012年8月24日 15:30 [有料会員限定記事]

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