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2016年12月 6日 (火)

姫百合の女神像  ひめゆりの乙女の像 ひめゆりの塔

姫百合の女神像は、彫刻家であった伊藤宝城(伊藤博)が沖縄戦で看護要員として戦場に動員され亡くなっていった「ひめゆり学徒隊」の少女たちの悲惨さを知り、供養をしたいと1950年に製作し1952年に沖縄に寄贈しました。

(戦後直ぐの混乱期でひめゆりの塔と書いた小さな石の碑が一つだけで、他にはまだ何もなかった頃のことです)

伊藤博が製作した「姫百合の女神像」を前に配置して一体化させて、1952年に最初の「「ひめゆり学徒隊の慰霊塔」が建立されました。

寄贈して建立されたのですが、その建立された年が不明でした。

 アメリカ軍の占領時代であり戦後直ぐの混乱期、なかなか許可が下りなくて大変だったようです。

 
設立時の写真
 
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 ひめゆり塔参拝記念はがき

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その後、新しい慰霊塔へ変わりましたが、

その時に単独で5mほど横に設置されましたが、これは数年前の状態です。

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Photo_2

  この像の後ろに古い説明文がありますがこれがそうです。

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 前の説明文

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現代の像と右下にある説明文

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最初は「姫百合の女神像」という名でしたが、次に「幼き女神の像」と名前が変えられ、現在はなぜか「女神の像」という名で陳列されています。

 

この像を送ったときは沖縄で盛大な記念式典があり、像はひめゆりの塔の前に飾られ、パレードや盛大な記念式典があったと父が申していました。

 残念ながら、パレードや記念式典の記録はもう戦跡公園にも沖縄の新聞社にも残っていないそうです。

(私は1972年に沖縄へ行き、壺屋焼 仁王窯の小橋川永昌氏 永仁氏に朱礼門や戦跡を案内していただきこの像を見ましたが、両氏はこのパレードを覚えておられて、新聞社の車も沢山出て、とても盛大だったとおっしゃっていました。)

 今年秋に実家へ帰り古いアルバムを見ていてたまたま発見した写真。

 

Photo
この写真は姫百合の女神像を沖縄へ送る前、私の実家から徒歩5分ほどの父の実家(鳥取県倉吉市広瀬町)の伊藤病院の前で大きな布の上に飾り、記念撮影の時の写真です。

 
向かって右から母(佐久子) 兄(創之介)  父の兄(伊藤博)の妻信子(ばあちゃん) 前に抱かれているのが私です。
ばあちゃんはおばちゃんが言えなかった兄が言っていてそうなりました。

 1950年製作の作品ですから1950年迄に送られたものだと思っていましたが、沖縄はアメリカ軍が占領中であり、何かと手続きに時間を取られたのでしょう。
実際に送られた年がわからなかったのですが、
像と一緒に私が写っている写真を発見し、送られたのは1951年末か52年早々だということがわかりました。

現在も沖縄県糸満市戦績公園内の新しい「ひめゆり学徒隊」の慰霊塔の後方5mほどの所のガラスケースに建立されています。

 

私は子どもの頃「ひめゆりの乙女の像」と思っていましたが、正確には「姫百合の女神像」だったんですね。

沖縄へ行かれた方 どうぞ この天に羽ばたく翼を持った「姫百合の女神像」も見学していただきたくお願い致します。

……………………

伊藤博 制作 鳥取県倉吉市広瀬町 
吉田たすくの長兄

号を「伊藤宝城」という
戦後日本の抽象彫刻の先駆者 伊藤宝城

ウィキペディア
https://ja.wikipedia.org/wiki/伊藤宝城

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