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2016年9月30日 (金)

棟方志功 喜太亭万よしの女人画 1

倉吉市の 喜太亭 万よしに飾られていた棟方志功の女人 その歌が気になって調べてみました。

羽丹生坂 花咲く岸にたつ未通女 春の永日の誰が愛しき妻

 

Img_8388_2

字が少し違いますが、この歌は保田 與重郎(やすだ よじゅうろう) の『歌集 炫火頌(カギロイシヨウ)』に収められているようで、この歌集の挿絵は棟方志功が描いています。

埴生坂 花咲く岸に たつ未通女 春の永日の誰が愛しき妻

(はにゅうざか はなさくきしに たつおとめ はるのながひの たがめしきつま)

そして、この歌のヒントとなったのが大伴家持の歌でした。

「見わたせば 向かつ尾上の 花にほひ 照りて立てるは 愛はしき誰が妻」 大伴 家持

(みわたせば むかつおのえの はなにおう てりてたてるは めはしきたがつま)

【釈】見渡せば、向うの岡の斜面には桜が咲き誇り、花に照り映えて美しい人が立っているあれは誰のいとしい妻であろうか。

喜太亭万よしにある棟方志功のこの絵。

万よしは鳥取県倉吉市にあるので、志功は自身が関わった保田 與重郎の歌集 炫火頌(カギロイシヨウ)を用いることで大伴家持を連想させ、その家持から因幡⇒鳥取県と思いを入れたのかも知れません。

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鳥取県は現代では日本で一番人口が少ない県ですが、東部の因幡国(いなばのくに)と中部・西部の伯耆国(ほうきのくに)でできており、古事記や出雲風土記に出てくる神話の国。神代の時代から栄えた国です。

因幡国と伯耆国では文化が大きく異なり、中でも伯耆国西部の米子市や境港市は商業の街であり、因幡国の鳥取市や伯耆国の倉吉市はゆったりとした城下町。文化がおおきく異なり、方言も異なっています。

保田 與重郎

1910年(明治43年)415日生 - 1981年(昭和56年)104日没

戦中戦後と一貫して志を変えず、孤高の文人として日本の美と歴史を語りつづけた文芸 評論家で多数の著作を刊行した。

(詳細はネット検索を。)

 

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大伴 家持(おおとも  やかもち)

養老2年(718年)頃[1] - 延暦4828日(785105日)

奈良時代の貴族・歌人。大納言・大伴旅人の子。官位は従三位・中納言。三十六歌仙の一人。小倉百人一首では中納言家持。

 

40歳頃に因幡国(いなばのくに)の国守に任ぜられて赴任しています。

家持の歌が載っている万葉集

万葉集は4516首ありますが、その最後を飾る4516番目の1首が家持の歌

「新しき年の始めの初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事(よごと)」であり、万葉集は因幡の国で最終的な編集をされたのかもしれません。

 
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 倉吉市の染織家 吉田たすくも同じように万葉集に思いをはせ

「染と織の万葉慕情」を日本海新聞に毎週100回にわたって連載。

(昭和57年(1982年)35日ー昭和591984年)年330

  万葉集の中には「染」と「織」「衣」など織物に関するもの、さらにそれに恋を絡めたものを読んだものが沢山歌われているが、

まず

「古(いにしへ)に織りてし服(はた)をこの夕(ゆうべ) 衣(ころも)に縫いて君待つ我を」

 という歌を最初にのせ、「染」と「織」の言葉に託した万葉人の心に「たすく」の染めや織の作業に関することを交えながら思いをはせております。

 更に挿絵も自分で描き雰囲気を盛り上げ、  二年にわたり書き込んでいき 

「染と織の万葉慕情」の最終回の連載100回目に

 

 「かにかくに 人は言ふとも織り継がむ 我が機物の 白き麻衣」

 (なんとか、かんとか人は言うけれど「たすく」は織りをつづけていきます。私の機で私なりの想いを込めて)」と書いて終了している。

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