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2016年7月 9日 (土)

蕎麦の歴史

ある方に日本の蕎麦の歴史を聞かれましたので、少しまとめてみます。

 蕎麦の歴史は、縄文時代晩期(B.C.900~500年)の遺跡から蕎麦の種子が見つかっています。
  文献による蕎麦の初めての記述は奈良時代 「続日本紀」の養老六年(722年) 元正天皇が諸国の国司に送った詔(ミコトノリ)にあります。

 この頃のそばは、殻付きの玄蕎麦を臼でついたものを、他の野菜に加えて煮たり、むき身の蕎麦の実を湯がいた そばがゆ でたべていたようです。
 その後、石臼が普及して粉にすることをおぼえ、そばがき、蕎麦団子、餅などにしてたべていました。世界的に見てもほぼ同じ動きです。

現在我々が「蕎麦」として食べている細切りの蕎麦は「蕎麦切り」という名で出現します。

 蕎麦きりが文献にあらわれるようになるのは1500年代の後半からで、
現在一番古い文献は長野県木曽郡大桑村の定勝寺で発見された「番匠作事日記」の中に、「振舞ソハキリ 金永」と記されており、そば切りを振舞った記録が残っていました。
次いで尾張一宮の古刹 妙興寺の「蕎麦覚書」(1608年)です。
その次、1614年(慶長年間) 近江 多賀神社の「慈性日記」。

 蕎麦切り発祥の地は他にも様々な説があります。
中山道本山宿(現在の長野県塩尻市宗賀本山地区)
甲斐の天目山栖雲寺(現在の山梨県甲州市大和町)
(天野信景著『塩尻』)等。関西だという説もありますが、まともな資料は少なく、発祥地としてはこのように文献が残っている場所から中山道沿いやその近くに絞れそうです。

長野県木曽郡上松町の寝覚の床に越前屋という蕎麦屋がありますが、
越前屋が創業したのは(寛永元年(1624年))で、定勝寺の「番匠作事日記」が1574年。この差わずか50年。
たった50年の差でもう蕎麦の有名店が出来ていると言うことはやはり、蕎麦発祥の地域は中山道沿いのどこかではないかという思いが強くなります。
 
蕎麦の歴史についてもう少し詳しくお知りになりたい方はfoo-d 風-土のブログ 蕎麦の歴史-1〜3をご覧下さい。2008年に書いたものですが、それ以降新しい文献は発見されていませんから大丈夫です。

蕎麦の歴史-1〜3
 http://foo-d.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_fe50.html
http://foo-d.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/2_0e67.html
http://foo-d.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/3_cefa.html

蕎麦好きの皆さん、どうぞ一度 長野県木曽郡大桑村の定勝寺へお出かけ下さい。お庭もきれいな古刹です。

 歴史を感じ、次いで木曽郡上松町の寝覚の床の越前屋をのぞいてみて下さい。
定勝寺から車で10.5km 21分です。
(お蕎麦を食べるのでしたらちょっと離れますが、木曽薮原のおぎのやがお薦め。
いい二八蕎麦を出してくれます。
定勝寺から35.2Km 1時間

木曽 おぎのや
長野県木曽郡木祖村藪原1123-1
電話0264-36-2012

■営業時間11:00~15:00
■定休日 毎週水曜日

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