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2016年4月 5日 (火)

牛の戸焼

突然 荷物が届いた。
差出人は 鳥取たくみ工芸店

何だろう? 誰かが贈ってくれた?

と開けてみたら牛の戸焼の皿だった。

手紙に「お待たせしてしまい申し訳ありません」とある。

あー! そうか これで思い出した。
 
一昨年2014年12月11日法事で倉吉へ帰省した折、
久しぶりの再会で、母と、兄と3人で鳥取民芸美術館⇒鳥取港で活きのよい肴購入⇒因幡の白ウサギ伝説の白兎海岸というコースでドライブした時のことです。

 鳥取たくみ工芸店は鳥取民芸美術館内にあり、
鳥取民芸美術館は民芸運動の創始者 柳宗悦・河井寛次郎・浜田庄司らと共に民芸運動を広めた吉田 璋也(注1)の美術館です。

 吉田 璋也は私の伯父 伊藤宝城(注2)とも 父 吉田たすく(注3)とも 親交があり、また、お世話になり、鳥取たくみ工芸店では父の手織物も販売していました。

このような関係で私も兄もまだ小さい頃何度も訪れた場所です。
とても懐かしく親子3人で楽しく拝見し買い物をしました。
その時にお店の方に、自宅で使っている牛ノ戸焼(注4)の話をして、同じ物が出来たら欲しいと申し上げました。
この牛ノ戸焼でこういうものは一年に二度しか窯焼きをされなくて予約待ちで、それがいつ出来るか判らないと言われたのですが、いつでもかまいませんとお願いしたものが、一年半ほど経ってようやく出来上がったのです。

ただ、一緒に行ったその兄もその2014年12月24日に鬼籍に入ってしまって今はもう報告もできません。
兄と最後に行った小さなトリップでした。
その時のことはブログ「兄が逝った」に載せています。
http://foo-d.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-7563.html

牛ノ戸焼
1940年〜50年頃(戦中戦後)でありながらこの緑と黒を半々に振り分けたモダンな色使いは吉田璋也の指導の賜です。
 私の所へ送られてきたのは牛ノ戸焼から出た 中井窯(注5)のもので、牛ノ戸焼を世界的なインダストリアルデザイナー柳 宗理の監修の基に皿の縁の部分を素焼きに変更した物です。

 奇しくも柳宗理は柳宗悦の息子であり、おもしろいなと思いますが、私個人的には変更した皿の縁の部分は今風ではありますが、以前より安っぽく感じ、また、素焼きのままなので少しザラザラして感触がよくなく、インダストリアルデザイナーの柳宗理らしくないような感じです。

 このざらつきが無ければとても嬉しいのですが、なぜ、私がこれをつかうかと言いますと、一見使いづらい 緑と黒を半々に振り分けた色使いが、却って食材をうまく魅せる効果を持っているからです。
 

 写真の棚に飾ってある右側の片口と大皿は牛ノ戸焼の本窯のもので、ずいぶん前に山陰の窯場を10カ所ほど巡ったとき、鳥取の山奥にある牛の戸窯で飾ってあったものを譲って頂いたものです。

20160405_11559
 下の写真

 まわりがベージュの2種類はその次にお邪魔した中井窯のもので、大きい方が「柳ディレクション7寸皿(21cm)」今回送られてきたものは、「柳ディレクション5寸皿(15cm)」7寸の方は数があったのですが、5寸は3枚しかなく、又出てくるだろうと購入していましたが、ネットで探しても見つからず、諦めていたところ 鳥取たくみ工房で注文でき、十年ぶり位でようやく数が揃いました。

20160405_11619

 7寸皿の方は、蕎麦懐石で季節の野菜や蕎麦味噌などをお出しするときに黒と緑のコントラストが食材を生かしてくれますので重宝しております。

20160405_11632

これからは5寸皿も出番があることでしょう。

…………………………………………

(注1) 吉田 璋也(よしだ しょうや)
1898年1月17日 - 1972年9月13日は、民藝運動家。医師。鳥取県鳥取市出身。
柳宗悦の民芸運動に共感して活動。柳宗悦の見出した民藝の美を生活の中に取り入れるため、新たな民藝品を生み出した。これをのちに新作民藝運動と呼ぶ。「民藝のプロデューサー」を自認し、民藝の普及に大きな業績を残した。 また、自らも多くのデザインを残しており、民藝の美を現代の生活に取り入れるために、日常の生活のための衣食住に渡る幅広いデザーナーとしての足跡も大きい。(ウィキペディアより)

吉田 璋也氏は鳥取民芸館のある場所で歯医者をやりながら、特に山陰と北陸を中心に民芸運動の活躍をされました。

(注2)伊藤宝城
https://ja.wikipedia.org/wiki/伊藤宝城

(注3)吉田たすく
https://ja.wikipedia.org/wiki/吉田たすく

(注4) 牛ノ戸焼き
 天保年間に因幡の陶工、金河藤七によって開窯。その後は小林梅五郎に継承された。以後、二代、三代と徳利や擂り鉢などの日用雑器を焼いていくが、四代目の時に継続困難になる。しかし、民芸運動の指導者 吉田璋也、柳宗悦、浜田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチらの激励、指導の甲斐あって窯を絶やすことなく、後に継がれている。
 
 牛ノ戸焼は民芸の基本である「用の美」を追求した作品であり、芸術性より実用性において評価を得ている。しかし、素朴ながら緑と黒を半々に振り分けた釉薬はどこかモダンさを感じ、センスの高さを窺わせる。他にはイッチン描き(筒描き)も見られる。島根県の布志名焼や出西窯らと同様、民芸運動家たちの影響が強い焼き物である。(ウィキペディアより)

中井窯(注5)
昭和20年(1945年)牛ノ戸焼の脇窯として個人窯を築き、吉田 璋也氏の指導の下、新作民芸に取り組みました。
 民芸運動の指導者 吉田璋也、柳宗悦、浜田庄司、河井寛次郎、バーナード・リーチ達により復興した牛ノ戸焼のその脇窯を柳宗理がまた指導して新しい器が生まれる 良い関係ですね。

(注4) 柳 宗理(やなぎ そうり)
1915年6月29日[2] - 2011年12月25日)は、20世紀に活動した日本のインダストリアルデザイナー[4]。戦後日本のインダストリアルデザインの確立と発展における最大の功労者と言われる[5]。代表作は「バタフライ・スツール」[6](天童木工製作)[7]。ユニークな形態と意外な実用性を兼ね備えた作品が多く知られた。実父は柳宗悦、工業デザインの他に玩具のデザイン、オブジェなども手がけた。金沢美術工芸大学客員教授。本名は柳 宗理(やなぎ むねみち)。(ウィキペディアより)

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