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2013年4月24日 (水)

倉吉弁による昔話 長谷寺の暴れ馬 2

 明倫小学校が田んぼだった頃の話だって。
稲がよう実って、そろそろ刈らなあ、いけんでって言っとった頃だって。
ある朝、稲がようけ踏みつけられとって、倒れちゃっとっだーが。

 八幡さんに行く道のねきの田んぼのほうもようけ、稲が倒れとって、わやくちゃだーが!
 
(八幡神社に行く道のそばの田んぼのほうも沢山、稲が倒れとって、無茶苦茶です!)
 
そっで、近所の人らがなー、集まって、今晩は寝ずの番せなーいけんわーって、
たいまつを持って集まってきて、見張っとんなっただって。
 
(それで、近所の人達が、集まって、今晩は寝ずの番しなければならないと言って、松明をもって集まってきて、見張っていたんだって。)
たいまつかー。松の木を割って、棒にしたもんでなー。
盆の迎え火にこえ松たくが!
あれを棒につけたやーなもんだわなー。火ーつけて、手に持って明かりに使うだーが。
 
電気が無いころだけなー。夜はどこもくーらかっただけー。
たいまつ持ってじーっと待っとんなっただらーなー。
 
これはもうよささーなで。ちいと、冷えてからたべたなよ。そのほうがパリッとしてうまーなるけなー。
この餅はもう良さそうに焼けているようだから。少し、冷えてからたべないよ。そのほうがパリッとしてうまーなるけなー。)
 
うん、たいまつ持って待っとんなったらなー。
そしたらなー、八幡さんの方から、バッサバッサ音が聞こえきただって。
馬だが。
田んぼん中をなあ、こっちのほうに来よっただって。
わやくちゃだが。
 
そっで、捕まえたらいって、みんなで、追いかけなったけど、つかまらーせんだーが。
でも、足跡がのこっとっでなー。
くーらいなかを地面にたいまつを照らして、足跡をそろーそろー、つけて行ってみよると、八幡さんに行く手前の長谷寺の谷を上がっていっとっただって。
みんなも足跡を追って登ってみなっただって。
稲荷堂のくーらいところも過ぎて、あそこは谷がせまーなっとって、ほんに暗いとこーだけなー。
もーちーと行くと四角い笹が生えとる所があるが。ここも過ぎて、左に上がる石段を登っとっだーか。
石段を上がると長谷寺の鐘衝き堂だけなー。その向かいの仁王門。両側に仁王さんがおんなって、大きなわらじがあるが!
そこー過ぎて本堂までついちゃっただって。
足跡が本堂の入り口で消えとるやーだけど、くーらい本堂の中は真っ暗けでしーずかだっただって。
こがに静かだに、馬はおらーせん。
って、だっだかが言いなって、帰らーかってなりょっただって。
きょうとかっただらーけなー。
でも、足跡は本堂に入っとるだけなー。入ってみな、いけんが!
たいまつ持って、真っ暗な本堂に入ってみただけど、馬はおらーせんしなー。誰もおらーへんだって。
外に出てもういっぺん足跡を見っだけど、やっぱり足跡は本堂にはいっとっだって。
本堂は崖の上に張り出しとるけーなー。
崖に引っ掛けとるやーなけ、懸け造りっちう建て方だって。
だけ、床下は崖だーが。床下から逃げちゃっただらーかっちって、もう一回本堂に入ってみなっだけど、床も抜けとらーせんだって。
消えちゃっただわなー。
ちゅうことで家に帰ることになっただわ。
だけど、次の晩もまた荒らされとっただって。
また、みんなで寝ずに見張っとったら。また、馬が来たで、みんなでぼいだしたら、逃げていったで、急いで長谷寺の本堂まで追っかけて行きなっただって。
足跡はやっぱり本堂に入いっとっだって。
中に入っとみっだけど、馬なんぞおらーへんが。
さんこたーあらへんって思って一生懸命探すだけど、おらーせんが!
本堂には真ん中に内陣っちって、観音さんがおんなる四角い部屋があって、そん中も見なったけど、馬はおらなんだだって。
額に入った絵がよーけ飾ってあるが!知っとっだらー!
あの絵に火を近づけて見とった人が一つの絵馬の馬が濡れとるって言ーなっだが。
他の馬は濡れとらーせんだって。まさか、その馬が汗かいとるってかー。さーなこたーあらせんはなー。
でも、みんなが触ってみると、その絵の馬のとこだけ塗れとって、他のどの馬も、どの絵も、壁も塗れとらーせんだって。
じーっと見とると馬がまるで生きとるやーに見えっだって。
えー絵だわなー。
せめて、おっさんに拝んもらわかって、拝んでもらって帰っただって。
だけど、また、次の夜も馬がでてきてなー。
追っかけて行って、本堂のあの絵馬の馬がやっぱり汗かいとっだって。
誰っだかがいいだしただって。他の馬は轡が付いて、縄が付いとって、縄がどっかに止めてあっだけどなー、その馬だけが体になんも付けとらん裸馬だっただって。
なにょすらーえーかわからんけど、馬の口にくつわをつけて、くつわに付けた縄を地面の杭に繋いでうごけんやーにしてみたらどがたらーか。ってことになってなー。
絵馬を奉納しなった中河原の中井さんにも相談して、絵かきさんにたのんで描いてもらったら、馬が出てこんやーになっただってーな。
なにー、みんな食べちゃっただかえ。
また焼かなーいけんが!とってきて。
 長谷寺には昔から農耕馬を守ってもらう絵馬が沢山奉納されていました。中には重要文化財級のものも有るようです。
私が小学生の頃 シェパードのメンデルの散歩で数百段ある階段を登ってよく来ました。
 当時は誰でも本堂内に自由に入り、お参りしたり、絵馬を見たりできましたが、今は閉ざされていて拝観料を払います。
今でも目を瞑ると子供の頃の長谷寺やその向こうにある八十八カ所の景色はハッキリと思い出します。八十八カ所から下界を見ると二両編成の蒸気機関車が倉吉線を走っているのが豆粒のように見えたものです。

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