« 倉吉の圭ちゃん29 ふぐ 2 | トップページ | 桜にさそわれ能登へ 4 見附島1 »

2011年5月 2日 (月)

倉吉の圭ちゃん30 ふぐ 3

続いて ふぐ の皮と白子だ

これは子供達の口には
なかなか入らない

ただし 長男を除いてだが

長男はいつも別格なのだ

(たぶん本人は否定するだろうが…)
  (長男はやがて家を継ぐ立場というので責任と共に優遇されました)

あっそうそう
末っ子も別格だった

かわいい末っ子が
「僕もほしいに」
とか
「食べてみたいにぃ」
とかわいく言えば

だれかが
「やらんでええけ」
と言ったとしても

だれかが
「まぁまぁ
ちょっと食べさせたんさいな」
とか
「食べさせたれぇや」
と言ってくれるのだ


誰も何も言わなかったら
「僕にもちょうだいなぁ」
「僕にはくれんだかえ」

「それ ごしないな」

「ごしならんか」
などなど
あきらめないで言い続けると
だいたいもらえる


それでもダメなら
最終兵器は涙だ

「なんでくれんだいな」
「くれんだかえ」
「くれならんか」

そして
「なんでくれならん」
「なんでくれんん」
「くれんってゆった…」
などなどとと言って
泣くのだ

すると
捨てる神ありゃ拾う神ありで
だいたい
食べられるのだ


と ゆうわけで
子供の頃は
ありとあらゆる物を食した

  ーーーーーーーーーーーーーーー
 父は織物の研究をしており、手染め手織りで織物を織っていました。
父の手織物の関係の方々や芸術関係の人達がよく話しに来ていました。
東京や京都、その他の地方で芸術をやっている人達も時々来られていました。
その他、中学の美術の教員もしていましたので
その交友関係など 毎晩のようにいつも誰かお客さんがありました。
それに別所のおじちゃん たばこ屋の康人さん

父はについては ウィキペディアに掲載されています
http://ja.wikipedia.org/wiki/吉田たすく

お客様を交え家族一緒に楽しく晩ごはんをたべます。

(子供にはわからなかったのですが お客様が多いので家計はとても苦しかったようです)

 又、お客様は来られる時はだいたい何か土産物を持ってこられます。
  子どもたちはこれが楽しみでした。

遠くの地方からも時々お客様が来られたりしていたので日本の様々なところからその地方の産品が来ました、東京からは二人のグルメな叔母がいろいろ美味しいものを送ってくれていました。
 ものを戴くとそのお返しが又たいへんで、お返しだけで貧乏になっているような感じの季節もありました。(特に冬 松葉蟹が解禁になると日本各地のお世話になった方達へおくっていましたので本当にたいへんだったようです)

頂いた物はいつもこども達も相伴にあずかります。

 エンゲル係数がとても高すぎて、他のものにはまわらないので貧乏でしたが、
日本の様々なところから有名なお菓子や美味しい産品がくるのですから子どもたちにとっては何よりも幸せでした。

|

« 倉吉の圭ちゃん29 ふぐ 2 | トップページ | 桜にさそわれ能登へ 4 見附島1 »

倉吉の圭ちゃん」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 倉吉の圭ちゃん30 ふぐ 3:

« 倉吉の圭ちゃん29 ふぐ 2 | トップページ | 桜にさそわれ能登へ 4 見附島1 »