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2010年10月10日 (日)

倉吉の酒の杜氏 2

NHKテレビに「日本紀行ふたたび」という番組がありました。
倉吉の特集で、手織りをしている私の実家と共に放映されたのが小川酒造です。

明治43年に創業し、打吹正宗(うつぶきまさむね)という日本酒を造っていましたが、今はもう日本酒は造られていません。

 かつて、冬になると杜氏が小川酒造に酒の仕込に来ていましたが、その杜氏は作州(美作国みまさかのくに)からきていたそうです。
 作州は倉吉から中国山地を越えた岡山県の北東部の旧国名です。
                       (剣豪の宮本武蔵の出身地でもあります。)

 しかし、作州には土着の杜氏集団はありません。どこかの流派で杜氏になり、故郷の作州に戻ったのか、何らかの理由で作州に住むようになったのだと思います。そして腕が良かったので百姓をやりながら、稲刈りが終わってから春まで小川酒造に来ていたと思います。

 ではその杜氏は何流の杜氏なのでしょう。 

小川酒造の酒が飲めれば流派も多少は絞れたかもしれませんが 今は日本酒造りを辞められたのでそれもできません。

地理的な面からしかわかりませんが、小川酒造の杜氏の流派を考察してみますと、但馬杜氏、備中杜氏、丹波杜氏のどれかだと思います。

1,但馬杜氏
但馬杜氏に南但杜氏、但馬杜氏、城崎杜氏がありますが、その中の南丹杜氏。兵庫県養父市周辺。大正の頃誕生したもっとも新しい杜氏集団のひとつ。いまは消滅の危機にある

但馬杜氏
兵庫県北部、美方郡 鳥取県に隣接

南但杜氏
兵庫県但馬の南に位置する山間部を本拠地

城崎杜氏
日本海に面した水産業の町、兵庫県城崎郡香住町を中心として酒造りをしている。


2,備中杜氏
 岡山県西南部の笠岡市寄島町、成羽町、明治20年頃には100名を数え、次第に勢力を拡大し、大正14年頃には杜氏数が500名を越えるまでとなり、全盛期には関西地方や遠く満州、朝鮮にまで出稼ぎに出かけていたと伝えられています。
昭和10年代にも杜氏は350名ぐらいはいたといいますが、現在では27名に減少し、全組合数も87名です。

3,丹波杜氏
ある記録に「宝歴5年(1755年)、篠山曽我部の庄武右衛門が池田の大和屋本店の杜氏となった」という記録があり、これが丹波杜氏のはじまりといわれています。
江戸の時代から名高い灘の銘酒を支えるのは、この丹波杜氏。現在、杜氏数は55名。日本3大杜氏のひとつにも数えられています。
 その他、城崎杜氏や越前の大野杜氏も中国地方へ出稼ぎに出ています。
可能性のあるのは多分上記3杜氏だと思いますが、これ以上は絞り込むことは出来ません。

また、もしかしたら出雲杜氏であった者の故郷が作州でそこに住んで小川酒造へ出かけたのかもしれません。

  さて、実際は何流の杜氏だったのでしょう

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