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2008年6月 4日 (水)

蕎麦の歴史-3

午前中に大桑村の定勝寺で蕎麦発祥の勉強をした後はやはり、蕎麦を食べなくては、それもなるべく古い老舗でなければ片手落ちと、中山道を北上。

 木曽路の「木曾八景」の一番の迫力として有名な場所へいきました。そこは浦嶋太郎が竜宮城から帰り玉手箱を開け、目覚めたといわれる「寝覚ノ床」。
寝覚ノ床は花崗岩の岩盤を、木曽川の急流が浸食してできた奇岩が約1.5kmにわたって続く。大正13年3月 史跡名勝天然記念物に指定されている。
http://www.avis.ne.jp/~hinoki/page3_1_1_1.html

 そして、めざす蕎麦屋はその寝覚ノ床の入り口の前にあります。創業 寛永元年(1624年) といわれる越前屋。
越前屋の創業は寛永元年(1624年)で、定勝寺の「番匠作事日記」が天正二年(1574年)。この差わずか50年後でしかない。
たった50年の差でもう蕎麦の有名店が出来ていると言うことはやはり、蕎麦発祥の地域は中山道沿いのどこかではないかという思いが強くなる。

 十返舎一九の「木曾街道膝栗毛」にも登場する日本で三番目に古い老舗だそうです。どうして三番目なのかはよくわかりませんが。
 十返舎一九は江戸時代に弥次喜多で有名な東海道中膝栗毛を書いた戯作者ですが、東海道膝栗毛があまりにも評判であったので、その後に書いたのが「木曾街道膝栗毛」
そのほか歌麿の浮世絵にも書かれ、島崎藤村の「夜明け前」にも登場します。Photo


越前屋
長野県木曽郡上松町上松寝覚1710
TEL0264-52-2081
http://www.echizenya-soba.jp/history.html#yurai

 十返舎一九は、「 木曾街道膝栗毛 」 の中で、越前屋の蕎麦を 「 そば白く薬味は青くいれものは赤いせいろに黄なる黒もじ 」と五色の色で表現しているが、

 十返舎一九が食べたのは白い蕎麦だった。ということは「碾きぐるみ」(鬼皮も一緒に碾きこんだ黒い蕎麦)ではなく、現代と同じ鬼皮を取り去った白いであったと思われる。
私の行ったのはあいにくの日曜日。寝覚ノ床への観光客が多くてその為越前屋の前で30分ほど立ちっぱなしで並んだ。やっと席に着き注文。
 蕎麦寿司が名物らしい。そこで盛りそば(2枚)1100円と蕎麦寿司600円を頼んだ。
そして、私の食べた蕎麦は十返舎一九と同じくそば白く薬味は青く いれものは赤いせいろ二枚重ねであった。

粒子は50メッシュくらい太さは1mm〜2.5mmとまとまっていなくバラバラ。
とてもめずらしい切り方の蕎麦である。まるでノズルで絞り出したように蕎麦の角が丸くエッジが無い。
角の見え方はうどんである。饂飩はきちっと角を出して切っても湯がくと角が取れ丸っぽくなるが、蕎麦はこうはならない。

マイフォトに入れておきますから写真で確認してみてください。

機械でノズル式に出すものがあり角がどうしても丸くなってしまうが、この方法ではないかとお店の方に尋ねたら、自店で切っているという。
ということは残された方法は包丁を研がないで刃を丸くさせ、それで押し切る方法しかない。
食べてみると角がないから触感もうどんの様だ、味は並の蕎麦の味。
見た目は蕎麦色形は饂飩 蕎麦の味がする饂飩という感触 おもしろい蕎麦であった。

  マイ評価B

名物といわれる(そこで聞いただけであるが)蕎麦寿司は可もなく不可もなく普通の海苔巻きが蕎麦で出来ている感じでありました。

 

蕎麦を食べた後は腹ごなしでドライブです。旧道に入り御岳山(オンタケサン)から流れる唐沢の滝を見て地蔵峠へまわり、展望台で御嶽山を望み開田高原。木曽馬を見てかえりました。

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